日記
来年
来年度打ち合わせ。
新しい体制がとられ、場所も新たに新装された應典院にて。
子供クラスも大人クラスも時代に合わせてどんどん色々なことを取り入れながら、伝統文化や心の教育も大切にされて。
子供だけでなく親世代の心にも寄り添われて。
私の書に対する思いもこれてよかったと、心が温かくなる
様々といろんな事が話題になり。
ヨガやマインドフルネスなども念頭にいれながらというお話で、書に集中すると簡単にそんな感じになりますよとお話したらおどろかれて。
書にはいろんな顔があって。
本当に人に寄り添った文化だと思う
でなければ何千年もほとんど原型をとどめたまま続かないよね
今現代で弘法大師や王羲之とおんなじことしているのだから
書法や精神性もほぼ変わらず今にも受け継がれ。
普遍なものとは揺るがないのですね
大きなきづき
二上山、畝傍山、
神のやまに、温かな陽気に抱かれて、大好きな万葉の里を歩き、お経の意味を深く知り。様々と尊いものを拝見し、そして心通わせ。
大きな大きな気付きを、頂きました。
子供の頃からの漠然とした夢、見えたもの心に残る言葉、そして出会う前からのご縁、万葉の心、重なる偶然、出会い、別れ。そして歩んだ道。
出会うということを考え続け。偶然の意味を模索しながら
昨日その意味がひびきわたり。
見えたもの、そして語られたこと。長らく長らくその意味を考え続けてきたこと。
ひとつの気付きから、これまでの点々とあった事柄が一気に繋がっていって、ああこの事だったのだと。今あることとつながり、そのさきの行く手は、あのとき見たものだったのだと。尊い言葉で語られたことから、どんどんどんどん世界が広がって。ひとつの確信にかわる。
心からの、そしてずっと心にどうしても離れなかった思いが言葉が、ああ、こういうことだったのだと、この事だったのだと心の芯から気付かせてもらえ。そしてそのとき人は本当に静かに受け入れるのだといつもと違うものを感じ。ありがたい気持ちで心がいっぱいになる
本当に私の今の思いを心から分かち合いたいと思ってもらえる時が曙なのかと。
その時をひたすらに…
ただひたすらに
當麻寺
菩提寺から当麻寺奥院へ
素晴らしかった
当麻寺は行った記憶があるのですが、おそらく奥の院ははじめてなような。
奥の院とは当麻寺のではなく、知恩院の奥の院とお聞きし。驚く
戦火から逃れるため京都とは別の地に知恩院のお寺をつくり大切な經本などを二つに分けて保管するという目的で建てられたそう。なので知恩院のご門跡様が京都で勤められたあと。こちらに来られて生涯お勤めされたそうです。
さすがに空気感が違い。中将姫の刺繍曼荼羅はじめ、云われのある宝物、何と云っても法然上人の座像は言葉にならないほど。
皆さんで読経の途中にご開帳してくださでたのですが、その醸し出されるものに今まで拝見したものとは全く違うものを感じて引き込まれて見いって、吸い込まれるような気持ちに。
後でその座像のお話をお聞きして、心から納得する。
お庭もそれぞれに大変素敵で、ちょうど大好きな絵松園さんの孫に当たる、我が家にもご縁頂いた、上村淳之さんの画かれた襖絵が公開されていて、存分に拝見させていただきました
法然寺、東大寺指図堂とお参りも。法然上人と真言宗、東大寺との関係もお教え頂き、驚きとそして深い納得とふと浮かんだ思いが心はなれず。しっかりとお参りもさせていただき、学び多く良い時を過ごさせていただきました。
涌き出るもの
身体中から涌き出てくるもの
からだの底から涌き出たもの
見つめて
心のそこから伝わりますように
ただ穏やかに今を
ゆっくり
そう、ゆっくり。
ゆっくり過ごせたことってなかったな。
いつも結論ありきで。
ゆっくり美味しいものをたべて、綺麗なものを見て、自然を感じて、本当に心通わせ。
そこから自然と生まれてくるものが欲しかったのかも。
いつまで寝てたらいいんやろ
朝日がのぼり、大きな窓から曙の光を浴びるのは何時の日か…。
ゆっくり人生を味わいながら、大切な時を大切にまっとうしたいのです。
あと20年?きっとあっという間なのでしょうね
だからだから、ゆっくり大切に1日1日を
とそう思う