日記
文化
優雅なお遊びに見えることが、どれ程大切なものか、どれ程深いものか…。
文化伝統ということが今こそとても必要で大事なことで、どれ程学びと本気が含まれているものか。
役にたたないように見える人も居るかもしれませんが、日本の深い本質があり、何でそんなことしてるの?と言われることほどとても大切なことなんですと、そういわれたことが、そうなのだと、今ことさらに思う。
その心根をわかってくれる人が、側にいてくれるようになりました。地道に地道に一歩一歩と
サロン室礼
7月サロン
7月のサロン。
お祭りをテーマに室礼を。
基本練習に加えて、夏の作品制作を。淡墨を作って差し上げて、淡墨作品も楽しんで頂きました。
七夕のお素麺をおやつにお出ししてゆっくりとお話。
長らく時がたち、子供のオムツの話をしていたのが今は親のオムツに。もうすぐしたら自分達のオムツの話なるねと大笑い😃
何とか元気で長生きとなり、60代が介護真っ盛りで、70代まで介護の年齢層となり。愚痴も出ますよね。
長い長い家庭生活は意に添わぬことも多々あり。明るく振る舞われる方の裏には、いやそんな人にこそ人にもいえぬ苦しみ悲しみを抱えておられることもきっとあるのかと。
子育ては自分育てと言われて若い頃を過ごし、その基盤の上に様々と過ごし、バージョンアップ?されておられるような。でもだからこそ本当に人の痛みがわかるのでしょうね。本当に何よりの修行の場と。
ありがたいことです。
笑顔
先日笑顔ということにいっぱい出会いました
ガーデンパーティーの折のプロのカメラマンさんが撮ってくださった、自然な姿の笑顔の写真が送られてきて。
幼稚園の子供たちに接しながら、できたことに対して心から感動し、嬉しい笑みで誉めてあげているという自分の姿をお母様のことばから自覚させていただけ。
東京のお教室の段取りで、「私のしておくこと特にないですか?」とお教室係グループラインての会話て問いかけたところ、「いつもの笑顔でお教室に安らぎを…」などと有り難すぎる粋なお言葉を返して頂いて。
笑顔三昧の日でした
岐阜の祖母が「あんたの目はいつも笑てるような徳な目や。ありがたいで。」と言ってくれてました。子供心に訳もわからずたれ目やいうことなのかなぁと思っていたのですが。
笑顔とはどれほど大切なものか。教えてくれてたのですね。
ただ祖母の優しい言葉だけで、何の理論も理屈も教えもわかりませんが…、
年を重ね、目も小さくなって余計タレ目になって。そんな笑顔ですが、何か癒しや強さのお役に立てば嬉しいことです。
強さ
強い子でした。我も強く、負けん気も強く、正義感も強く。はっきりとものを言い。
その性格を良いように導いてくれた恩師、先達があり、友人、書友、選手仲間…がおりました。
どの場面においても評価は高かった。でも順風満帆に見えているその半生の中には、さまざまなことがありました。子どもながらの妬みいじめ、インターハイに関しては学校のお家騒動にも巻き込まれ出場権を後輩に譲らなくてはならなかったり、突然のドクターストップでテニスを離れた時期もありました。そんなことを乗り越えた姿は今振り返っても潔く爽やかで思慮ぷかく。「22才の時の自分が人生最高のでき!」とずっと言ってきたのですが。まさに。
でもそれはある意味怖いもの知らずだったのでしょうね。ある程度のレールの上を導かれ怪我ないようにと守られて、そのなかで自分の経験値と思いを投影しその感覚と行動が大人たちや友人たちに評価されただけ。
23才で突然の降って沸いたような縁談があれよとまとまり。それからが本当の自分磨きだったように思います。
はじめましてから一年たたぬ間に他人の中に身を投じ、婚家に染まれと尽くせと代々の両家の、時代の思いに必死に応え。
またさらに子どもが授からず、落胆に明け暮れる日々。
自分に問題なく。自分にはどうしようもなく途方にくれることばかり。どうしても思いどおりにならないこととの自分との戦いの日々でした
書道も本格的に開始し、無我夢中でテニスでできなかったものを取り替えそうと必死で学んだ時期。
そしてようやく子どもを授かりありがたくこの上ない喜びに包まれながら、2歳違いの長男と双子の子育てに明け暮れる日々となりました。
双子を育てる過酷な子育ては授からなかった苦しみがらあったからこそ、そして支えてくれる人たちにかこまれていたから乗り越えられてきたのだとおもいます。
子育てとはレールもなくマニュアルなどもあってないようなもので、百人あれば百通りのそれ以上の答え?があり。おまけに自分の思うようにはならなくて。それからの自分はおろおろと、ボロボロで。
親としての責任を震えるほどに感じ、我が子を我が手に抱いた時、溢れんばかりの人の本能、情、業…すべてのものがあふれでて、その恐ろしさというものをどこかで感じながら必死で奔走した日々でした。
何とか乗り越えて?時過ぎて?わずかながらも逞しくなった自分があり。また心から頼り支えてくれていた親を見送ることによりその心の穴にまた宿るものがあり。
この上ない経験をさせていただきこの上なくありがたい。
そんな時代を経てまた再び一人世の中に出て久しくなり。一人一歩一歩と歩んだ日々があり。これからが本当の強さが宿っていくのだと思われる。
今まで育んでくれた世界の外に飛び出て久しく。その枠のようなものは遠のむかしにとっぱらわれていて。そして迷いと惑いに進まず、またある種バーチャルなゲームを楽しんでいるかのようにも見える今はまた情けない小さな小さな枠と見え。またさらにその先の大きな真実の世界にいきたいと心から思う。
何事にも惑わされることなく、これからの次の世界のためにしっかりと自分を持ち、進むべきこの先の真実の世界に力強く進んで行きたい。








