日記
別れ
何度か、つらい別れがありました
思春期には耐えきれず、数ヵ月で7キロも痩せ、食事も取れず体調まで崩したことも
大人になってもなんでこんなことになるの?と思うような。そしてつらい別れがありました。
必要でなくなった私という自覚と、華やかにやりたいことを楽しげにされていく周りの姿
その葛藤のなかで自分を見つめ見つめ、今振り替えるとそうなるべきしてそうなったのだと、自分の心の未熟さを思う
その時はそう思えず葛藤のなかでその気持ちをぶつけるように、一人東京に行った不安も抱えながら書いた書。誰もが一度は取りたいと思っている、本当に実力ある人しかもらえないという創玄現代展の賞をわずか3年で頂き。もう抜けられないというこの世界への覚悟というものもでき
でもその時に重い重い心を何とか保ち、心身込めて渾身の力を振り絞り書いた作品を今見ると。未来の自分を見ていたかのような作品で。
この気持ちになれたから、また奇跡のような今をいただけたのかと、ふと思う
別れを導いた自分の心と、今とは全く違っていて
その大きな別れは大きな気づきと成長を頂けて、そして何より自分の中に育まれていたものを思い起こしさらに成長させてもらえることに
晩年に向かう今、そうなれた自分に
一人の時間に
深い思いがつのる
過去帳
何年かぶりに息子の中高の時のママ友から連絡あって、過去帳書いてほしいとこられ。
お仏壇を新しくされたときに、書かせてもらったので。またわざわざ来られて新仏さんができられたのだなぁと。
忙しいのにごめんね、と。
息子にも私たちが死んだら斎藤さんに過去帳書いてもらって、相続のことやら斎藤さんとこのお兄ちゃんに相談しいって言ってあるねんと、にこやかに。
ご自身も会計事務所にお勤めなのでご縁もあるだろうに、斎藤さんとこのお兄ちゃんやったら安心して任せられるので、と。逢ってもない我が息子にありがたいお言葉。
過去帳開けば、新仏さんはご主人とのこと。61歳で。余命一年と言われすい臓がんで。あまりの驚きに思わず手を合わせ、言葉もなくそれしかできず。
落ち着いてひとしきりお話しを聞き、その短くも濃い一年のこと、またその寿命がわかっていたかのような晩年のお導きのような暮らしぶり。
短い人生やったけど、存分に思い残すことなく過ごされたんちがう?と二人で納得もし。
家族葬でありながら、様々とご心配される方々に囲まれて十分に心をケアされる環境にあられたことにも安堵が。
しっかりと見送られて、もうじき七七日とか。
1月に若いお別れが続き。本当に私もそして私の大切な人たちもいつなんどきと、深く思い知らされる。
話を聴きながら、様々なことに思いも巡り。
その時への準備も何もできていないこと。最期の時を思い残すことなく生ききれるかと、今あることこの先に思いを寄せ。とてもとても大切な1日なのだと深くそう思う
まだまだ巡り来るものは沢山にあって、おまけに過去のご縁が様々とまた沢山につながって。まだまだまだまだ現役以上の働きぶりで、まだまだまだまだ精進して勤めなければと思っているけれど
これも最期の時に向かってのお導きを頂いてるのかもしれない
人間
ある時の覚書
人として生まれること。
それだけで苦であると。
確かに
我の強い子でした。
苦しいことも沢山にめぐって来ました
親も心配し、子供の頃から様々と体験させてもらえ、ご縁を頂き、世界は広がり、またそのなかで学はせてもらい。
様々にやってくる苦しいことに対峙しながら
そして何より自分の中にある苦しみに悶えながら
ある時に教えてもらった
苦を抜き楽を与え…
自分にも人にもそう勤めてきたら
とても楽しいことが増えました
はからずとも、気がつけば楽しく幸せとおもえることが増えてきて。何事もありがたいと思え、そのことがありがたく嬉しいながら。気がつけばまだまだまだまだ我の心は至らぬことは沢山に、苦を抱え込みそうになる時も。
気持ちが引き締まり、さらに深く見つめて見つめてと。
日々勤めていれば、芳しい人にと薫り立ってくるとそう教えてもらい、そのことを心して日々戒めながら勤めて勤めて。いつになったらそんな人になれるのか
心配し、そう育ててくれた祖母に母に、導いてくださった方々に、改めて深い感謝を。ご縁をありがたく。そして残りの人生をさらに楽しく幸せとなるように、勤めて勤めてと。
日本
勇ましくて何とも愛らしい
日本を拝見👀
まだまだやんちゃやなぁ😊
水差し
昨日は盛り沢山
午前中大阪会議を取り上げた南海旭道さんの講談をさすがと堪能させていただいて、午後からお能の勉強会、そして夕方先輩画廊の最終日に飛び込んで。
絶対エエからと、太鼓判押されたので、見るのも勉強と何とか最後の最後に間に合って。
入るなりガビーンと。
備前でほしいと思っていたイメージがあったのだけれど、それを越える未だ見ないものを見せてもらったような。デコラティブでありながら自然。色も爽やかで。
これ良いわぁ。というと
そうやろ。話題の若手作家さんで、並んでギャラリー空くのまってまで来てくれはって、海外からも問い合わせや来てくれた人もあったのやけどこれだけ買いがつけへんかってん。と
札を見れば皆赤ついてるのに。これだけなし。
見れば水差し。花器やお茶碗ばかりで、水差しはさすがに需要はないよなと。納得したら
我が家のあの場所においてあるイメージが湧き、そこに花をいれる絵が見え。ふとこれお花いけてもいいよね…とボソっとつぶらいたら、
ほんまや!すてきやは!と先輩オーナーさん。
思わずいただこうかなぁと呟いたら
ニューヨークのギャラリーの支店に送る段取りをしておられたところだったそうで。そら外国の人より斎藤さんのおうちに飾られたら作品も喜ぶは。あんたのことまってたんちがう?と。これが買い手付かないの皆不思議やなぁて言うててん、と。
さすが先輩の自然と出るすばらしい言葉。おんなじ感覚を持ってられるとその思いも共にそうかなぁ嬉しいわぁと、ご返事。
我に返ると、私にとっては清水から飛び降りるような買い物😓。でも本当に響きあった感じがして。良いやん!となっとく。
それから樟蔭のはなし、作品のはなし、ご先祖のはなしまで…ゆっくりお話しさせてもらって。こんなゆっくり話したんはじめてやなぁと。
そう。長いお付き合いになりますが、いつも額を積んで、汚れても良いジーパンにほとんどスツピンといわれる日常メイクで。仕事終わったらそしたら!とさっさと帰って。それが色々偶然が重なって、一気にお繋がりが広がり深くなって。こんな時を持てるとは。ご縁とはわからないものです。
そうそう。ギャラリーの受付はさすがにちゃんとした身なりをしていくので。そのときに、ちょっとちょっと!斎藤さん綺麗よー、写真持ってきて!と皆を呼んで、とても楽しい方で😄 昨日もお出掛け帰りで、その上ショートカットにしたのでパンツスーツを来ていったら。綺麗ヤーンと眺めてくれて。超立派なビジネスウーマンでありながら、大阪のおばちゃんで。いつまでも樟蔭の後輩として愛してくれて。
また一つ深いご縁を頂いて。良い環境を頂けてありがたいことです。
先輩のその若いこれからの作家さんへの思いと共に、大切にして参りますね。
サロンの皆様もきっと眺めて喜んでくれると思います
出会いに感謝