日記
憧れ
明治大正の時代に生きた女性にどこか惹かれます
そのときの、大阪の暮らしにも
その事を経験したこともないけれど
聞き覚えていることは、いつしか心に身体に染み付いて刻まれて。そう生きたいと憧れる
きっと今なくしてしまった、大切なことが感じられるのでしょうね
いつしか、未来の人たちに惹かれる憧れられる、昭和平成が、来るのでしょうか
繋ぎ懸命に生きてきたこと。それだけは確か
間
間で何がみえますか?
何を教えてくれますか?
聞いてみたい
背中
溺愛でした。今思うと。
七年かかってできた子は、天から授かったと思え。
すぐにまた授かった子は双子で、お腹の中から親を独り占めすることなく、不憫で不憫で。
三人分の愛情をと我が身を一心に子供たちに捧げるような気持ちとなり
そんな私をみかねてか。男の子三人やったらお習字絶対にやめたらあかんよと言ってくださる先輩もおられ。母も姑もやめないように全面協力してくれて。今、だからそういわれたのかと、そうしてくれたのかと心から感謝しています
息子が思春期に入る頃。もう手放さなあかんよ。とアドバイス頂き。男の子やしと、自分もそう思え。書道の勉強を再開することを決意。
これからは寄り添うのではなく、背中を見せて行こうと思えて。
でもその背中は、さんざんなものでした。
久方振りの世間は書道界は、初めて接する東京の環境は学ぶことばかり。それまで支えてくれていた人とも縁が遠のき、たった一人で思い悩み喜びつまづき。身も心も精一杯を通り越し、鬱にもなり。病院にも行けず、なんとか自分の知識で経験でそれまで身に付けてもらった教えでその日をこなして。
でもふってわいたような出来事やコロナは、ありがたい環境をくれて、ありがたい道に導いてくれて。今ようやくしっかりと大地を踏みしめているような歩みとなりました。
家のこと、子供のことも今までどおりには行かず。息子の心にも寄り添えきれず、あぁなんていうお母さんだったのだろうと、今も胸が痛みます。手放すのが早かったと悔やみもします。
でも息子が選んでつれてきた人は皆。とてもよく馴染めて、どこか自分と同じものも感じられて。素敵な良い人と思え尊敬もでき。
良い背中は見せられなかったけれど、確かにご先祖様から受け継いだ心は息子にも繋がれていて、私の父母を尊敬し未だに愛し目標にしてくれる姿をみていたら。幾ばくか私の育ててきたことも間違ってなかったのかと安堵の気持ちにも
反面教師やと、お互いに言い合い
良い夫、父を勤めてくれています
息子みたいな人と結婚したかったなぁ
と思う自分を見つめてみると
いまだに溺愛😊
現代人
携帯開けば、AIが何もかもを調べてくれて、未来予想までしてくれて。
その言われた道を歩いていけば安心な気持ちとなり
でもどこか違和感をおぼえるのです
未来予想図とはみえないから予想図で。
こうなりたいと思ってもその通りになることの方が珍しく。
だから漠然と大きな目標はあるけれど、いつも今あることを感じるままに判断し鼻の効く方にすすんできたような。
苦しい選択のこともあるけれど、自分のすすんだ方向に歩みを進めて行けば必ずたどり着く場はあり。
それが思い描いたものであったり、なかったり、またそれ以上のものであったり。
でもすべて次のステージへの糧になり。
夢の上へと運んでくれ。
そんなワクワクした人生を歩ませてもらえたからこそ、今もまたその時この時を真剣に一心に勤めているような気がします。まだまだ至らないことばかり、又だからこそ修行のような日々とも思えありがたいとも思える
人は変わると。でも良いようにも悪いようにも変わると。
すべて本人次第と。
そう言われたことが言霊となり、またひとつ心に刻まれて。この先、素晴らしい自分があるようにと必ずやと。
この時を大切に
そして大切なものを見失わず
大切に一歩一歩と
お導きを信じて
昨日
昨日10月7日はお誕生日でした
あちこちからお祝いメールやお祝いも頂き。この歳になっても忘れずいてくれることのありがたさ、感謝です
回りを見渡しても、今までの通りに何ら変わらず動け、病気ひとつ知らずにおれることが、何よりありがたく
先日の書展で40代などと言われ、ちょっぴり有頂天になったりして
嬉しい楽しいお誕生日でした❗