日記
会話
そろそろ、
あることをお話する時期が来ているのかもしれません
リンク
先日名古屋へ
博光会以外の先生とはあまり面識がなかったので
はじめて加藤裕先生のご社中展に
鳩居堂の個展をされた折にはコロナに掛かって行けずで
白鷗賞のお礼とお話を
その時に、
これも色々とその時の巡り合わせや偶然もあるんだよねと。本当に
私の出したかった墨色に先生が惹かれてくださり、思いがリンクして。
線や技術のところの評価はどの先生でも変わらないとおもいますが、表現の仕方や墨色のお好みというものはやはりそれぞれに違うかと。加藤先生でなかったら、私の墨色を否定される先生であったらこの賞はなかったかと。お聞きすれば渡辺先生も高評価をいただいていたそうでとてもありがたいことです
賞とは本当に巡り合わせでもあるのです
だから、沢山に大きな賞を取られる先生方はどんどん謙虚になっていかれるのだなとも
そう、その頃に他にも様々と考えやその時の興味など考えれば先生とリンクしていたことがたくさんあることが
これも気持ちのうえでの心の中の見えぬものの結びつきというものも何だか感じられて
良きご縁とはそういうものなのかなと。不思議なお引き合わせというようなものとはそういうものなのかと
奇跡という言葉は軽々しく今までよう口にだせなかったけれど。今回ばかりは本当に奇跡とはこういうものなのだなと
そう思わせて頂きました
先生ともゆっくりとお話させていただける機会も頂きこのこ゚縁に心から感謝させていただきました
現代展作品批評会で言ってくださった、色々解説したけど ぼくこの作品大好きなんだよなぁと言ってくださったお言葉が、とても心に残り、私がこれだ!と思えた渾身の一文字、その文字から醸し出されるものを確かに感じ取って全て受け入れていただけたことに心からありがたく嬉しかったです
これからもどうぞよろしくお願いいたします
思い
定まれたかのような
国宝
久方ぶりに歌舞伎の世界観に
娘道成寺の音が流れると、ところどころ少女の頃に舞った振りが思い出されて身体が動く。身体にしみ込んでいるものとは何十年経っても消えないものなのだと。
カンボンカンボンという太鼓と鼓の音に心が躍り。
でも、若いときは上方歌舞伎は何だか頼りなくて、江戸の荒事ばかりみていて、弁慶の六方などは何度見ても飽きなくて、役者ごとに見に行って結構通?
先代仁左衛門さんの目が見えないのに舞台に立たれる姿に神様のようなものを感じ、当時の片岡孝夫 現仁左衛門さんは何とも言えずはんなりと男前で。その美しい姿から発せられる大阪言葉は娘心を揺さぶられました
玉三郎さんは、私がいうのも生意気にも、まだ当時は芸よりも美しさが勝っていて、まさに映画のなかの吉沢亮。批判もされておられましたが、天守物語夜叉ヶ池はその幽玄な世界感と玉三郎さんの透けるような美しさが溶け合って何度も何度も見たなぁ
国宝で曽根崎心中を見て、上方歌舞伎の面々での舞台をみたくなりました
仁左衛門も玉三郎も思えば歳を重ねられていて、思わずハッとさせられました。今この2人の芸をみなければ、見たいと心から思う。南座もお二人のお話の共演があったのに。残念なことをしました
やはり日本の芸、文化
骨身にしみます
幼い頃からそんな環境に置いてもらえていたことに心から感謝
ピアノ、音楽もまた同様に
豊かな教育を今になって本当にありがたいとそう思う
案件
事務長さんにも色々と助けてもらい
何とか案件が収まり
少しは理解してくれたかとも思われますが、
これからがさてさて
その人にはその人の個性や育ち考え方そしてセンスがあり。
育て方も人の数だけあると。
心根は確かになかなか大変だと思うけれど、性格は変えられるとそういう理論も実態も。書を通じて一つ大きく世界を見れる人になってもらえたらと。という私も大したことないけれど
私も勉強
作品を作り上げていくうえに、会をまとめ皆で歩んでいくとは
勝負に挑みながらキャプテンを務めることも大変だと思ったけれど。悠久の歴史のなか営まれてきた書の世界にあって大人になって人を導くとは…キャプテンががいかに楽であったかと。そう思う